自己愛性パーソナリティ障害を持つ人のターゲットになった事がある人なら、一度は考えた事があるのではないでしょうか。
自己愛性パーソナリティ障害って治らないの?
そもそも自覚ある人っているの?
この記事では治るのかどうか?という疑問と、自覚ある人もいるという事についてまとめてみたいと思います。
治すのは非常に難しい
残念ながら、自己愛性パーソナリティ障害を治すのはとても難しいと言われています。
自己愛性パーソナリティ障害は昨日、今日突然現れるといったものではなく長い年月をかけて積み上げてきたものだからです。
それらは慢性化しており、大人になってから性格を変えるのが困難なように常態化しているものを変えるのは難儀でもあります。
自覚ある人もいるにはいる?
自己愛性パーソナリティ障害を持つ人で自覚ある人は非常に少ないようですが、いるにはいるようです。
ネット上には自己愛性パーソナリティ障害について書かれた記事が沢山載っていますが、その多くはターゲットにされていた側の体験談です。
自己愛性パーソナリティ障害を持つ人が自覚して発信しているというケースは非常に稀な事で、探してもなかなか出てきません。
ですがSNSやブログから探してみると、ほんの数名ですが見つける事が出来ました。
この事から発信していない人もいると考えると、自覚ある人も一定数いるにはいる事が分かりました。
自覚あれば治りそうにも思うけれど
自己愛性パーソナリティ障害は自分を省みる事が出来ない特徴があります。
なので失礼を承知で言わせて頂きますと、自覚なんてとても出来ないのではないかと思っていました。
都合の悪い事には記憶をすり替える事も日常茶飯事なので、事実ではない事を事実と思っているふしがあるからです。
例え自己愛性パーソナリティ障害が判別出来るチェックなるものを試す機会があっても、自覚出来ないのではないかと。
自覚あるという事は、自分を客観的に見る事が出来ているという事ですよね。
その時点でもう自己愛性パーソナリティ障害の、自分を省みる事が出来ないという特徴はなくなっていると思うのです。
そのため自覚ある人は、一歩前に進んでいると思わずにいられません。
自覚ある人でさえも逃げてと警告している
自己愛性パーソナリティ障害のターゲットにされていた多くの人は、相手から逃げてと発信しています。
はじめは相手をどうにかしようと頑張っていた人でも、最後は逃げてと。
自己愛性パーソナリティ障害は素人がどうこう出来るレベルにないので、この事はこれ以上人生を壊されないためにも正しい事です。
そして自覚ある人でさえも、逃げてと警告している事実に衝撃を受けました。
自分の要求が一番な特徴があるにもかかわらず、そのような警告をするなんてよっぽどの事です。
自分守りたさに、自己愛性パーソナリティ障害の人にはこんな風に優しく接してと求めても不思議ではないのに。
逃げられるのが一番嫌な事でしょうに。
この自覚ある人は症状が酷いところまでいったかもしれないけれど、自覚した事で自己愛性パーソナリティ障害の症状がやわらいでいるような印象を持ちました。
やはり自覚あるかどうかは非常に重要な鍵なのだと思います。
正確に言えば自覚出来るかどうかですね。
そして自覚ある当事者でさえも逃げてという程に、自己愛性パーソナリティ障害を抱えている人と一緒にいる事の困難さを思い知らされました。
有効なカウンセリング
自覚した人でも、自覚した傍からすぐに自分を変えるという事は難しいようです。
でも自覚した事は大きな前進で、そこからカウンセリングを受けて何とかしようと治すための行動をとっていたり、そこまで来ると私はとても感心してしまいます。
例え治らないとしても、その姿勢があるだけで受ける心持ちも変わっていきます。
自発的に動けるという事が肝心だと思うので、やはり自己愛性パーソナリティ障害というものがどういうものなのかという事がもっと広まれば良いなと思います。
ターゲットにされた側からは何を言っても通じない事もあるので、本音はやはり自分で気付いてもらいたい。
そのために自覚ある当事者からの貴重な発信も増えていって欲しいと思いました。
周りは例え何も出来ないとしても、どのようにしてそのような行動になるかは知っていると心持ちも違ってくるような気がしています。
また専門家の意見を読むよりも、当事者の意見はリアルに伝わってくるので参考になりやすいです。
自覚があってカウンセリングを受けるなり変わろうとしていれば、ターゲット側も好き放題やられるよりは多少なりとも楽になれると思うのです。
この事は自覚ある当事者のパートナーが逃げていないという事が物語っていると思いました。
さいごに
自己愛性パーソナリティ障害を治す事は困難だけれど、自覚していれば自分の特徴を抑える努力をしたり前に進む可能性も見えてきます。
特徴を抑えるのは並大抵の事ではないでしょうけれど、それでも努力している人を私は応援したいと思いました。